ケガレ意識と人権問題

この頃の告別式には、「清めの塩」がついていなくて、いいことだなあと思います。
お亡くなりになった人やその場所がケガレているので、清めるという意識から出たものでした。
科学知識のない昔のことですから、理解できない自然現象は全て驚きであったことでしょう。
「日食になれば、何かよくないことが起こる。」
「古墳を守るために生け贄を捧げる。」
「病気になると祈祷をしてもらう。」
など、現在では信じられないことを昔はしていました。
しかし、今も残っている愚かな風習やきまりがあります。
「女人禁制の山」、「女性は土俵に上がれない」などです。
女性差別と分かっていても止めようとしないのは、なぜなのでしょうか。
「それは昔からの伝統だから。」
その言葉で差別を許してしまっていいのでしょうか。
徳島県の小学生すもう大会で優勝した女の子は、国技館で行われる全国大会に出場できず、準優勝の男の子が出場しました。
人を悲しませるような伝統は直していくべきだと思います。
プール開きが行われるシーズンになりましたが、全校の子どもたちの前で塩やお酒をプールに入れて、お清めをすることがなくなって安心しました。
しかし、最近になって、清めでなく安全祈願だと言って復活してきているところもあります。
水泳シーズンの無事故を祈る気持ちは大事ですが、「清める」とは、また別の話です。
理科の教師として、子どもたちには、「科学的に物事を見て、科学的に考え判断してほしい。」と思っています。
目に見えないケガレを信じてしまったり、自分の目で見て感じて確かめないで人を嫌ったりしてほしくないのです。
日本人は非科学的な言い伝えや伝統が好きな民族だとは思いますが、その意識が差別につながらないように、みんなで気をつけていきたいものだと思います。