卒業して30年以上立ちました。
それでも、部室には、僕の撮った槍ヶ岳が壁に貼ってありました。
もう、いつ取り壊されてもいいような鉄筋コンクリートの壊れかけた部室です。
僕が所属していたのは「日曜山歩会」という名の部でしたが、今はユースホステル部になっていました。
他にも、変わっていないもの、変わってしまったもの、いろいろと懐かしく想いながら、繊維学部の中を妻と散歩しました。
新しく建築中の建物もあります。
企業による建物で、大学から人材をすぐに入れられるようにするようです。
7階から見ると、大学構内や上田の街がよく見えました。
7階では、100周年の資料が展示されていて、昭和55年の東雲祭の様子がビデオで紹介されていました。
僕が大学祭を楽しんでいた少し後の様子でしたが、当時を思い起こさせるのに十分です。
大きな龍の御輿を作って、上田駅前まで行ったことを思い出しました。
今はこんな御輿のようです。
僕は、当時、日曜山歩会の店をやっていて、焼きそば・ぜんざい・ポップコーンを作って売っていました。
その辺の伝統は受け継がれているようで、焼きそば屋がありましたので、買って食べてみました。
他にも、焼き鳥と牛すじ煮込みも食べました。
焼鳥屋は、煙がすごく、「これはテントに染みるだろうな。」と、思って、テントを見ると、城下小学校のテントでした。
他にも、洋服屋とか、沖縄料理の店に城下小のテントが使われていました。
繊維学部メインストリートは変わっていません。
学生も関西なまりで話していました。
太郎山夜間登山をするために、時間つぶしをしていた建物がボクシングジムのようになっていましたが、変わっていません。
レンガの倉庫は資料館になっていました。
妻と二人で、あの青春時代にタイムスリップしたような感覚で大学の中を歩いた楽しいひとときでした。
イオンで買い物をして帰宅する途中で、繊維学部修己寮の御輿に会うことができました。
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